AIR MAX ZERO (789695-100)
2024-07-01 / 175 view
AIR MAX1が誕生する前の伝説の1足が現代に蘇る
AIR MAX1が発売されたのは約30年前の1987年だ。
エアマックスを製作したデザイナーはティンカー・ハットベル。彼はスニーカーの歴史を変えた偉大な功績で伝説のデザイナー称されている。彼がAIR MAX1を製作する際に自身に課したミッションは、NIKEのスピリットを世界中へ伝えることができる刺激的で革新的なランニングシューズを作ることだ。このミッションのもと彼は革新的なランニングシューズの制作に取り組む。そして出来上がったのがランニングシューズ業界に大きなインパクトを与えたAIR MAX1だ。その後のAIR MAXの活躍は語るまでもない。AIR MAXは発売から30年経ってもなお人々に愛される伝説のスニーカーモデルだ。そんなAIR MAXだが、ティンカー・ハットベルが苦労することなくデザインできたというわけではない。いくつもの試作品やスケッチの試行錯誤の末にAIR MAX1の完成にたどり着いたのだ。ティンカー・ハットベルが当時描いたスケッチはナイキ・アーカイブ部門に眠り続けていた。そして29年経った2016年にそのスケッチが蘇ることになる。
AIR MAX1よりもずっと現代的なAIR MAX ZERO
実はティンカー・ハットベルが描いたスケッチの多くを断念せざるを得なかった理由は、当時の技術では彼のアイデアを実現することができなかったからである。天才ティンカー・ハットベルが思い描いていた頭脳は、当時としてはあまりにも先を行っていたのだ。しかしこの独創的なアイデアが2016年にNIKEのデザイナーチームに発見されることとなった。デザイナーチームはAIR MAX DAYに向けてアイデアを模索していたのだ。AIR MAX ZEROを担当したデザイナー、グレアム・マクミランはスケッチを初めて見たときに、AIR MAX1をより現代的なものにしたという印象を受けたと述べている。スケッチを見たマクミランはすぐにハットベルのデザインに忠実に従いつつも現代の革新的な要素を加えた作品を制作することに決める。そして出来上がったのがAIR MAX ZEROだ。
天才の頭脳に現代技術が追いついた
AIR MAX ZEROの完成を支えたのは言うまでもなく現代技術だ。AIR MAX ZEROのアウトソールにはAIR MAX 1 ULTRA MOIREに使用されたファイロンのアウトソールが用いられている。さらにフューズ製法のアッパーを用いることによってサポート性はそのままで素材のかさばりを失くすことに成功している。ティンカー・ハットベルがAIR MAXの制作に取り組んだ時のコンセプトは「究極の快適性」。2016年当時は再現できなかったティンカー・ハットベルのアイデアが現代技術によって出来上がったのだ。作品の仕上がりを見たティンカー・ハットベルも仕上がりには大満足している。30年越しに作られた伝説のスニーカーがAIR MAX ZEROなのだ。
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