Minnesota Twins (ミネソタ・ツインズ)
2024-12-05 / 455 view
紆余曲折の歴史、栄光と低迷
ミネソタ・ツインズは、ミネアポリスに本拠地を置くチームだが、チーム名はミネアポリスとミシシッピ川対岸セントポールとが双子都市と呼ばれることに由来し、その名の通りミネソタ州のチームと言っていい。
前身は1901年からアメリカンリーグに加入していたワシントン・セネタースである。セネターズ時代にはワールドシリーズ制覇も果たしていたが、低迷期を経て1961年に本拠地を移転し、現在のツインズが誕生した。
1965年にはアメリカンリーグ優勝。地区制導入後も地区チャンピオンを獲得するなど、好成績を収めた。1987年には念願のツインズとしての初のワールドシリーズ制覇を果たし、1991年にも2度目のワールドチャンピオンに輝いている。
しかし、ツインズにとっての最悪の時期は、この後8年連続の負け越しを経て、球団消滅の危機に面した2001年まで続く。
球団存続の危機を、ファンの熱意によってくぐり抜けたツインズは、吹っ切れたように成績が上がり、2002年から2010年までの間に6度の地区優勝を果たす。
その後、主力の故障や移籍などで戦力が安定せず、苦しいシーズンが続いている。
史上最高にして、ガラスの天才児
ツインズを代表する選手と言えば、やはりジョー・マウアーだろう。高校時代には、野球のアメリカ18歳以下代表として世界一になったばかりか、アメリカン・フットボールでクォーターバックとして全米の年間優秀選手に、バスケットボールでも州代表に選ばれている。
天才と言う形容しか思いつかない地元ミネソタ出身の少年がツインズからドラフト1位で指名され、マイナーリーグでも最高評価を受けてメジャーデビューしたのは2004年の春である。
マウアーは、その後の数年で「史上最高の捕手」と評される活躍を見せることになる。6年で3度の首位打者、ゴールドグラブ賞、リーグMVPと、攻守ともに破竹の快進撃と言っていいだろう。
一方で毎年のように故障で欠場することも多く、フルシーズンを戦い抜けないことへの批判も常にあった。確かに2014年に一塁手にコンバートされたのは、前年に負った脳震盪のためであり、現実的にその後の成績も低下してきている。コンディションの問題が、マウアーの才能がフルに発揮されることの阻害要因となっていることには間違いないだろう。
天才は、短い輝きの残像を残して、このまま終わってしまうのだろうか?
ツインズファンならずとも、それを惜しく思う人は多いはずだ。
新世代躍進の時代へ
2016年シーズンは、3桁の敗戦数をマークして惨敗に終わったツインズ。
マウアーを始め、故障者に悩まされることの多かった近年を考えると、選手のコンディショニングが、これからのツインズが上昇できるかの鍵になると思われる。
しかし、おそらくこれからのツインズを代表する選手となるだろう、二塁手のブライアン・ドージャーが42本のホームランを打っているのは大きな希望だろう。
20代の若い選手たちが一軍として出場機会を得ることが多いのも、もう1つの希望だ。開幕とともに、あるいはシーズン途中でも、誰かがブレイクしてチームを上昇気流に乗せる可能性も充分に感じさせるチームである。
ミシシッピ川を挟んだ2つの都市に、再び栄光の虹がかかる日は、そう遠くはないのかもしれない。