Los Angeles Lakers (ロサンゼルス・レイカーズ)
2024-11-14 / 664 view
ロサンゼルス・レイカーズの歴史
ロサンゼルス・レイカーズ(LosAngeles Lakers)は全米プロバスケットボール協会(NBA)ウェスタンカンファレンス・パシフィックディビジョンに所属するプロバスケットボールチームである。チーム創設は1946年(当時はデトロイトが本拠でジェイムスの名称で親しまれた)、本拠地はカリフォルニア州ロサンゼルス、同地区所属のLAクリッパーズとステイプルズセンターを共同利用している。
元々はミネアポリス(ミネソタ州)にあり一帯は湖が多かったことからレイカーズ(Lake)と命名され現在もその名称を引き継いでいる。
LAレイカーズはNBA最多勝利(3027)や同最高勝率(.619)、31回と最も多くのファイナル出場、歴代2位の16回という優勝回数を誇る超名門チームである。
チームは当初デトロイトで誕生しミネアポリスに移転、そして1960年に現在のLAに移転した。
1960年代70年代は準黄金期といっても良くファイナル常連だったがセルティックスやNYニックスの牙城を中々崩せなかった。1980年代になるとマジック・ジョンソンの活躍等で黄金時代を築き10年間で5度のファイナル制覇をもたらした。
2000年からはシャキール・オニール(C)、コービー・ブライアント(SG)そしてデレック・フィッシャーを擁してファイナル3連覇、さらに2008-09・2009-10シーズン、ブライアント獅子奮迅の活躍もありファイナル2連覇を達成した。その後はブライアントや主力の怪我が相次ぎ低迷、しかも大黒柱のブライアントが2015-16シーズンをもって引退しチームは現在、再建の真っ只中にある。
レイカーズを代表する選手
西の名門レイカーズといえども復活の道のりは困難を極める。そんな状況にあって一筋の光明を見出しているのがブランドン・イングラムである。ノースカロライナ州キンストン出身、名門デューク大学で1年生からスタメン起用され平均17.3得点6.8リバウンド2アシストと結果を残し、NBAドラフトアーリーエントリーでレイカーズから全体2位指名を受けて入団している。
206cm、97kgとスモール・フォワード(SF)としてはサイズ的にやや線は細いが、そのしなやかな動きは申し分なくしかもキレと瞬発力がある将来のスター候補である。
しかし現在はトップリーグでの自身の存在価値を中々見いだせずにいるといった方がいいかもしれない。得点はもとより、リバウンド、アシスト、ブロックショットといったチーム貢献度の高いエレメンツではリーグでまったくといっていい程歯が立たない状況である。
ブライアント引退後に球団は若手育成に切り替える方針を決定、その中心がイングラムであり、現在チームの中心として活躍するジュリアス・ランドルとディアンジェロ・ラッセルである。ランドル206cm、113kgのパワー・フォワード(PF)、ラッセル196cm88kgのポイント・ガード(PG)である。ランドルもラッセルもそれぞれの“持ち場”で精一杯の責任を果しているといってもいい。ただ悲しいかなチーム全体を統率するリーダーとしての資質を発揮するまでには至っていない。おそらくこの辺りが若手3人集の今後の大きな課題かもしれない。
レイカーズに対する想い
特にマジック・ジョンソンを中心とする華やかな速攻をレイカーズファンは“ショータイム”と呼んでいた。レイカーズにはそんな観客を魅了するバスケットが似合っている。
シャック&コービー時代もこのショータイムは存在した。シャックのそれこそバスケットを壊しそうな程のダンク“シャックアタック”やコービーの振り向きざまの“フェイダウェイ”シュートはあのジョーダンと双璧とも称えられたものであった。
そしてヘッドコーチが目立つのもこのチームの特徴であった。マジック時代のパット・ライリーしかり、シャック&コービーを率いたフィル・ジャクソンしかりである。
前者は超強気で攻撃は最大の防御とばかりマジックを中心とした華麗な攻撃の規範を作り上げた。後者は2人のスーパースターの強力関係を禅の道で理解させ、大人に成長させることによって複数回の優勝という結果をもたらした。
まさに選手も指導者も観客を魅了する術を心得ていた、そんなチームがLAのファンの心を揺さぶるレイカーズだったのである。
しかし、今のレイカーズにそんな華やかな“演出”を要求することには無理がある。大切なのは現在いる金の卵たちを着実に成長させるフロントを含めた大人たちの戦略であろう。ゆっくりと着実でいいので現有勢力の成熟度を高めてほしい。
レイカーズのいちファンとして3年後のプレイオフ進出と大舞台での活躍を願っている。