Brooklyn Nets(ブルックリン・ネッツ)
2024-11-20 / 360 view
NBAへの加入とネッツ苦難の歴史
黒と白のシックなチームカラーが特徴のブルックリン・ネッツを一言で表すなら、それは弱小チームである。理由は1967年から続く長い歴史の中で、優勝歴が2回しかないからだ。この低迷は、かつてのプロバスケットリーグABAの終了とともに始まった。
1976年当時ABAでは2回の優勝を収め、ニュージャージーを拠点に活動を行っていたニュージャージー・ネッツは、業績の低迷していたABAの解散という事態に直面する。プロバスケットチームの存続には、新たに立ち上げられるNBAへの参加が必要なのだが、当時問題になったのが数百万ドルにもおよぶ莫大な加盟料や補償金である。この支払いを行うためニュージャージー・ネッツはスター選手でありチームの支えとなっていたジュリアス・アービングの金銭トレードを決断、これを切掛けにネッツは長い低迷の時代に突入することになるのである。
2001年まで長い低迷の時代を歩んだニュージャージー・ネッツだが、ある1人の選手の登場により、その状況は新たな局面へと移り変わることになる。そう、2001年に加入が決まったジェイソン・キッドだ。
キッドの獲得で強豪チームに
NBAでも屈指のポイントガードとして知られていたジェイソン・キッドの功績は、その強烈なリーダーシップによりチーム全体のモチベーションを引き上げ、弱小チームを強豪チームへと生まれ変わらせたことである。ジェイソン・キッドの加入当時、他に目立った選手のいなかったニュージャージー・ネッツの評価は、決して高い物ではなかった。しかし、いざリーグが開催するとニュージャージー・ネッツは生まれ変わったかのように勝ち星を重ね、前年の倍にもなる勝利数を記録した。ジェイソン・キッドはそのままチームを引っ張り続け、ついには初のNBAファイナル進出にまで導いてしまったのである。
まるでハリウッド映画のような逆転劇を演じ、NBAでも屈指の強豪チームへと駆け上がったニュージャージー・ネッツだったが、結局NBAファイナルでの初優勝はかなわないまま、2007年ジェイソン・キッドの移籍により、この永光の時代は幕を下ろすことになる。チームの柱を失ったニュージャージー・ネッツは、成績の振るわない弱小チームに逆戻りしてしまったのだ。
しかし、チームを去る者がいれば、手をさしのべる者もいる。オーナーとして名乗りを上げたヒップホップアーティスト ジェイ・Zと、ロシア2位の大富豪ミハイル・プロホロフの登場で、ニュージャージー・ネッツは次の局面を迎えるのである。
2人のオーナーとメッツ
プロスポーツチームの形や色は、選手だけで決まるわけではないことを、ミハイル・プロホロフとジェイ・Zという2人のオーナーは教えてくれる。ジェイ・Zはブルックリンのストリートからグラミー賞を受賞するヒップホップアーティストにまで上り詰めた、アメリカン・ドリームを体現する人物だ。ニュージャージー・ネッツは2012年にジェイ・Zの地元ブルックリンに拠点を移し、ブルックリン・ネッツとして再スタートを切るのである。この再スタートを機にジェイ・Zはロゴデザインをモノトーンカラーをベースとしたシックなデザインに一新させ、試合では自らスタジアムで得意のラップを披露し、チームを興行として盛り上げることに成功した。
ではもう1人のオーナー ミハイル・プロホロフはどうか。彼の印象は簡単に言うと「結果を急ぎすぎた暴君」だ。彼がオーナーとなってからブルックリン・ネッツは数々の選手をトレードし、引退したジェイソン・キッドをヘッドコーチに指名するなどチームの補強を行ったが、プロホロフは結果が出るまで待てなかったのだ。結果、数々のトレードは芽を出さず、ブルックリン・ネッツは2016年現在も低迷を続けている。