Denver Broncos(デンバー・ブロンコス)
2024-11-03 / 301 view
デンバー・ブロンコスの歴史
デンバー・ブロンコス(Denver Broncos)は全米プロフットボールリーグ(NFL)AFC(アメリカンフットボールカンファレンス)西地区に所属するプロフットボールチームである。チーム創設は1960年、愛称である「ブロンコス」は西部の荒々しい馬の意でありファン投票で選ばれた。またチームロゴは猛々しさを現す白馬である。本拠地はデンバーにある「スポーツオーソリティフィールドアットマイル・ハイ」。
創設以来、中々勝ちに恵まれなかったチームは1983年ボルチモア・コルツにドラフト全体1位指名を受けたQBジョン・エルウェイを画策トレードにより獲得した。それから約15年間はこの“エルウェイ”王朝の時代が続くこととなる。
エルウェイを中心とした通称“ハイパーオフェンス”はチームを常勝軍団に仕上げプレイオフの常連ともいえる存在となった。1986・1987・1989・1997・1998年はスーパーボールへの出場も果たし、特に97・98年はスーパーボールを連覇している。エルウェイは第33回大会(1998)にMVPを獲得し、そのシーズン限りで引退した。
1999年以降の10数年間、チームは中々並みに乗れず成績は平凡なものであった。2012年インディアナポリス・コルツを解雇されたQBペイトン・マニングを獲得した。期待に違わぬ活躍でカムバック賞を受賞したマニングはチームを再び常勝軍団に変え、2015年スーパーボールを制覇した。
ブロンコスを代表する選手
「ブロンコスを代表する・・・」というと語弊があるかもしれない。しかしNFLの歴史からみてもQBの活躍なしにチームの勝利はないといえよう。そうした意味合いを込め活躍してほしい選手としてトレバ―・シーミアンを筆頭候補に挙げたい。
2015シーズン後、スーパーボールを制したチームは大きな変革を迫られた。チームの中心で抜群のリーダーシップを発揮する大黒柱のペイトン・マニングが引退、バックアップQBとして今後の活躍が期待された先発候補ブロック・オズワイラーがヒューストン・テキサンズに移籍したのである。
2016シーズン、結局チームは2年目のまだ新人といってもいいシーミアンを先発QBとして起用続けた。彼はシーズンを通して3,401ヤード、18TD、バス成功率59.5%、QBレイティング84.6の成績を残すものの、チームは9勝7敗プレイオフ出場を逃してしまう。チームを勝利に導くリーダーシップやフィールドでのマネージメント力がリーグの名だたるQBとは決定的に違っていたのが要因である。
しかし大学卒業後浪人をしてまでNFL入りを目指し、2015年のドラフト七巡目の全体250位、QBとしては最後にブロンコスから指名を受けた苦労人にとって、シーズンを通して戦った経験は来シーズン以降に必ず生かされるだろう。
ヘッドコーチ(HC)ゲイリー・キュービアックを含めたコーチ陣はシーミアンの武器は「その落ち着いた冷静な判断力」と一様に口を揃える。今シーズン肩鎖関節を亜脱臼し過去には膝の靭帯を切るという大けがにも見舞われたシーミアンとチームの将来は、正に彼の未来を見据える冷静な判断力にかかっていると言えよう。
ブロンコスについての想い
デンバーはコロラド州の州都であり同州最大の都市である。標高が1マイル(1600m)に位置し「マイル・ハイ・シティ」の愛称を持つ。広大なロッキー山脈の麓にたたずむ大都市デンバー、その雄大な風景をバックに悠然と構えるのがブロンコスの本拠地マイル・ハイ・スタジアムである。
チームを変えたのは80年代初頭からチームに加入したQBジョン・エルウェイだろう。まさにアスリートといっていいそのずば抜けた身体能力を生かし、チームをギリギリの場面で勝利に導く姿にファンは酔いしれたものである。エルウェイの威光があまりにも強すぎるチーム体質の為、彼が引退するとチーム力はガタ落ちとなり90年代後半から2000年代の成績は見る影もない。
しかし2012シーズンから加わったこれまたNFL随一の鉄砲肩と図抜けたリーダーシップを誇るペイトン・マニングによってチーム戦術が確立し近年の強さは際だっていた。その甲斐あって2015年はマニング自身2度目のスーパーボール制覇を成し遂げることとなった。
チームは覇権の時代と低迷を繰り返すが、アメリカでも特に広大なデンバーのファンはその心の大らかさでこの荒々しい“西部のブロンコ”達を支え続けている。
主力が抜けた前年から成績は落ちているものの、新たな戦力の活躍とHCキュービアックの人材活用術の要で来シーズンの戦いをはやくも期待してしまうのは早計だろうか。