EDDY MERCKX(エディメルクス)の自転車
2024-11-19 / 780 view
EDDY MERCKX、「史上最強」が創る完全無敵のバイク
EDDY MERCKXは、ツール・ド・フランスのレジェンド、EDDY MERCKX(エディ・メルクス)が手掛ける、その名もずばりEDDY MERCKX社の自転車ブランドだ。EDDY MERCKXは、これまでに数多くのロードバイクを創り出してきた。
さて、エディ・メルクスという1960年から70年代にかけて活躍したロードレース界の怪物をご存じだろうか。彼は、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアで総合優勝各5回、ブエルタ・ア・エスパーニャ1回という驚異的な成績を収め、1970、72、74年には、前述のツールとジロでダブル総合優勝、74年には世界選手権も制し、その年、3冠王に輝いた。誰もが認める「史上最強のサイクリスト」と呼ばれた男。彼の残した偉業は、史上空前の通算525勝という数字に表されている。
数々の優勝歴を残し33才で引退したメルクスは、1980年、彼のフレームを長年手掛けていたウーゴ・デローザ(イタリアの自転車メーカー/デローザの創業者)の指導の元で、母国ベルギーにEDDY MERCKX社を設立する。現役時代、異常なほどに自分の乗るバイク機材にこだわりを持ち大変厳しかった彼。レース前日にフレームの改良を支持するのは当たり前で、些細なことにも妥協を許さないことで知られていた。
その頑固なまでに細部にこだわる彼の完璧主義的な意志を引き継いできたEDDY MERCKX社は、最強のサイクリスト、第2のメルクスを誕生させるために長年プロ用のロードバイクを製造してきたのである。
EDDY MERCKXのバイクはプロ向けからジュニア用まで
長年、クイックステップ・フロアーズを始めとしたトップチームの自転車を担当してきたEDDY MERCKX社だが、シクロクロス用、TT/TRI用、トラック用の他、女性用、ジュニア向け自転車など、近年では幅広い購買者をターゲットにしたラインアップになっている。
トップラインのフラグシップモデルといえばEM-525。こちらは同社の持てる技術の総力をあげて創り上げた最上級のロードバイクである。そして、セカンド・グレードの「San Remo 76」と続くが、こちらはメルクスの最後のビッグレース、1976年の「ミラノ~サンレモ」の名から付けられた。
フレームとフォークは張殻構造となっており、またEPS(発泡ポリスチレン)で成形されている。荒い路面でも十分に耐えうる創りとなっており、剛性にも優れている。計算し尽くされた独創的なフレームのフォルムは、優れたペダリングの振動効率を実現している。
ロードバイクでは、メルクスが初出場で総合優勝したツール・ド・フランスの第17ステージのゴールからとったエンデュランスバイク「Mourenx67」、プロになるきっかけを作った1964年の世界選手権の開催地名をとったカーボンバイク「Sallanches64」、ベルギーで最も古いレース「リエージュ~バスト~リエージュ」というワンディレースの開催地名をとった「Liege75」、「北の地獄」という異名をもつ「パリ~ルーベ」の開催地名をとった「Roubaix70」などがある。
このように同社の自転車には、彼の戦歴の縁の名が付けられており、後世のサイクリスト達に夢をつないでいる。
EDDY MERCKX社のバイクでワンランク上を目指す
最高のフォーマンスのためのバイクを追求し続けたメルクス。そのバイク機材に関する彼の逸話は数知れない。チームに支給されたフレームが気に入らず、他社のフレームを使用しチームカラーにペイントを施したというエピソードまであるほどだ。
また、当時から軽量化にも熱心で、パーツに穴をあけて肉抜き加工をしたり、平均重量(10kg程度)だった時代に、チタンパーツを使い60%程に総重量を抑えレースに使用していたという。彼のこの試みが今日のバイクの軽量化の始まりだったのである。
こうした彼のバイクへのこだわりこそが、525勝という快挙を創り出した源であったに違いない。
「人馬一体」と言う言葉があるが、サイクリングは身体とバイクが一体化されてこそ、最高のパフォーマンスを生み出す。それを実現したのが、EDDY MERCKXの自転車なのだ。
ツールのレジェンド、メルクスが、次世代のサイクリスト達への夢を繋ぐために創り上げた自信作に跨ってみる。その瞬間、心はもうツール・ド・フランスのアルプス山脈を駆け巡っているかのようである。
数ある自転車メーカーの中から選ぶなら、EDDY MERCKXのバイクはリストに欠かせない。初心者には、ちょっと敷居が高い感もあるが、どうせ乗るなら、高性能で剛性、振動効率の良いワンランク上のロードバイクで走ってみたいものだ。